「聞こえない」って?

 「聞こえない」というとみなさんはどのようなイメージを持ちますか?「手話」でしょうか、それとも「話せない、しゃべれない」でしょうか。「聞こえない」人のコミュニケーション方法は、その人によって様々です。手話でおしゃべりをする人もいます。補聴器や人工内耳などを使用して自分の聞こえを最大限に活かしておしゃべりをする人もいます。筆談でお話しする人もいます。「聞こえ」とは人ぞれぞれであり、そしてそれを外見から判断することができません。そのため、「聞こえない」ことが相手に伝わりにくく、ときにはお独りでその悩みを抱え込んでしまう方もいます。ダンボでは、要約筆記を通じて、難聴者と交流しながらその理解を深めています。

 

 

難聴者体験談

ここでは、共に活動するサークルの難聴者会員に貴重な体験を語っていただきました。

70代女性Aさん

 「おしゃべりは心を解放させる効果あり」と聞いたことがありますが、難聴者となった時に、話をする相手の言葉を聞きとるだけで精一杯でした。自分から話の仲間に加わることは、必要最小限のみで、それも失聴状態になってから、おしゃべりしたなーと思うことはほとんどありませんでした。そんな頃、要約筆記に出会い、要約筆記を間におしゃべりが出来るようになりました。おしゃべりの中には大切な病院関係や役所関係も含まれるので「ダンボ」サークルの皆さんは、心強い絆となってます。 高齢難聴の方も多くなるこの頃、聞き取りにくいことを意思表示されて、社会参加される方が多くなることを望みます。

70代女性Bさん

 私は突発性難聴により、両耳全く聞こえなくなりました。家族とのコミュニケーションも全くとれません。家族は、頼みごとは書いてくれますが、みんなの楽しい会話は書けません。これほど悲しい、寂しいことはありませんでした。友達とも会いたくなくなり、家から出られません。本当の地獄の苦しみを体験しました。その後、病院で会った方に誘ってもらい、初めて要約筆記を知りダンボに出会いました。書いた文字をOHPでスクリーンに大きく大きく映し、それを読みながらコミニュケーションをします。私は、明るく優しい要約筆記者の皆さんに助けられ、立ち直り今があります。以前、兄の葬式に要約筆記をお願いしました。昔の自分に戻って耳が聞こえたのかと錯覚するほどでした。皆さんの、送る言葉もよく分かり、悲しさと嬉しさが同時にこみ上げてきました。いつも要約筆記に助けられています。 耳の聞こえが悪く、不安に思っていらっしゃる方、一度サークルに来て心から楽しく笑ってください。